福岡市で足つぼサロンを/自分史

query_builder 2026/02/27
足つぼ

第1章 プロローグ──いまの私

月に30〜40名のお客様を迎える個人サロンを、福岡で営んでいる。
足つぼセラピストとして3年目。


「やっと回ってきたかな」という手応えを感じながらも、
まだ空きはあるし、発信も伸びしろだらけ。


経済的には正直まだ苦しく、焦りや不安もついて回る。
それでも最近、“光が見えてきた”と感じる瞬間が増えた。



施術中にお客様と大笑いしながら足を揉んでいるとき、
「この仕事、やっぱり好きだな」と心から思う。


人とのご縁が、私の人生をずっと支えてきたから。

自分史を書こうと思ったのは、講座で勧められたのがきっかけ。


でも、振り返るほどに「あ、今このタイミングで書く意味があるな」と思えてきた。



第2章 幼少期──“いい子”であることの影に

三重県で生まれ育った。
父と母、2歳下の弟。小学校の途中からは祖父母との同居も始まった。


父は蕎麦屋で働き、人と話すのが大好きな明るいタイプ。
家の中には、父の明るさがいつも流れていた。


けれど祖父は高圧的で、怒鳴ったり物に当たったりする人だった。
嫌い、という感情が強く、家にいても自然と口数が少なくなっていった。


私は4月生まれで、何でもこなせる“いい子”。
弟が生まれたとき、「あとでぎゅっとしてね」と言っていたと母から聞いた。
甘えたかった気持ちを飲み込んで、“いい子でいよう”としたのかもしれない。



小学校4年生、どうしてもミニバスケットがしたくて、
自分の学校にクラブがなく、隣の小学校に頼み込んで入れてもらった。


最初は友だちも一緒だったがすぐ辞めてしまい、私はひとり“よそ者”として通うことに。


誰も意地悪しない、むしろ優しい子ばかりだった。


でも、自分をどう出していいかわからず、ほとんど笑っていない私がいた。


「やめない」と約束していたため、ただひたすら耐えた日々。
写真を見ても、ほんとに笑っていない。


さらに、小学校のある時間、
「友達にちょっかいを出して嫌だった」とクラスで読み上げられたことがある。


その瞬間、「そんなふうに思ってたんや」とショックで固まった。


そこから、自分から何かすることが怖くなり、
“相手の感じ方に敏感すぎる私”ができあがっていった。


そのあたりからかな、全く手を挙げられない子に^  ^



第3章 中学・高校──花開ききれなかった青春

中学ではバスケを避け、吹奏楽部へ。


仲良し3人組ができ、穏やかな日々を過ごした。


ただ、選んだフルートは人数が多く、いつも“あぶれる”私は、
ここでも自分の意見を言えずにいた。



高校受験では進学校を落ち、私立へ。
「お金かかるな…親に申し訳ない」という気持ちをずっと抱えていた。


1年生の成績で思いがけず準特待生に。
授業料が半額になったとき、
「親孝行できた」
「私にも価値があるんや」
そんな誇らしさが胸に灯った。


高校生活はおとなしく、恋愛もなく、無難に過ぎた。


ただ、大学受験前の少人数で勉強した時期は心地よかった。
「同じ方向を見て頑張るって、好きだな」と思えた時間だった。



第4章 大学時代──人生がやっと動き始めた

つづく


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住所:福岡県福岡市中央区高砂2丁目6-21 徳安ビル402

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